口蹄疫
毎日ニュースで宮崎県の牛や豚が口蹄疫に感染して処分されていることが報道されています。
私が生まれた頃までこの店の場所で私のおじいさんがガラス屋と額縁屋を営みながら「庭」で豚を飼育していました。ちゃんとした養豚であちこちの品評会で賞を取ったそうです。
小学校3~4年生のときに父が家を建て直しましたが、それまで我が家には豚小屋が残っていました。母が嫁に来たとき一人で留守番をしていて急に豚が逃げ出して困ったことがあったそうです。
その後、養豚は父の弟(叔父さん)が引き継ぎ、ここから直ぐそばの敷地に豚小屋は移動しました。
私が20歳頃、免許を取ったおかげで、その叔父さんの手伝いをさせられ、千葉や栃木や宮城や愛知などに4tトラックで豚を運んだり、品評会の会場の手伝いをさせられたり、そして豚小屋の掃除もさせられました。
そしてその頃、あちこちの豚が伝染病にかかり養豚ができなくなって叔父さんはスパッと養豚をあきらめ肉牛の飼育を始めました。
ある時いつもと同じようにトラックで東名を西に向かいました。西だから愛知県かと思っていたら何と兵庫県田島に連れて行かれいきなり牛の競りに参加しました。
その時初めて競りにかけられた牛(去勢してメスになったもの)が松坂や近江や山形などに行って育てられてブランド牛になるのだと知りました。
ただし叔父さんが競り落としに行ったのは去勢してないオス牛。これが他の競り牛とは比べ物にならないくらい高額まで値が吊り上がりました。何故そのオス牛をみんなが競り落としたいかその時の私にはわかりませんでした。
値が500万くらいまで上がり叔父さんが競ったのですが、剥きになって競っていた相手がもう一声かけたときに叔父さんは「すっ」と手を引いてしまいました。
結局1頭も競り落とさず帰ったのですが、その帰り道に競り合っていた相手が金額を上げるためだけに競り合うインチキ業者だったと教えてくれました。叔父さんに「すっ」とてを引かれた相手はあわてて
追いかけてきて「頼むから買ってくれ」と頼んできたそうです。当然断ったのですが、その業者は200万~300万で売れるものを悪戯に値を吊り上げたがために大損をしたみたいです。
叔父さんは何故その牛を競り落とそうとしたのか。それはその牛がスーパー種牛になる可能性があったんだと後で教えてくれました。もしスーパー種牛になったら精液1本何十万になったそうで、その後本当にスーパー種牛を見つけてきて牛屋さんに感謝されていました。
宮崎のスーパー種牛も危機的状況だそうですが、血統やその牛を見る目がないとそう簡単にできるものではないと思います。
その内叔父さんが「おいっ!宮崎まで付いて来い」って言い出さないか・・・。
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