感謝
ブログネタ: あなたが目標にする人は?
平成24年1月24日 義父が息を引き取りました。
67歳でした。
妻と出会ったのが、今から丁度20年前。
数回待ち合わせをしてデート(古い言い方ですかね)したあと、「待ち合わせなんてしてないでで、堂々と家の前まで迎えに来い」って義父が言ってたと言われ、恐る恐る妻の家まで迎えに行ったのが初めての出逢いでした
。
妻から「厳しい人」だとそれまで聞かされていたので、かなりビクビクしながら家に行ったのですが、妻から「お父さん仕事で出かけていて、今はお母さんしかいないよ。」と言われて、のこのこ家に上がり込んで、妻の支度を待っていると、後ろからニュッと義父が現れて、心臓が止まりそうになったのを覚えています。
そう、妻の家族みんなに仕組まれた義父との初対面でした。
義父も自営業者でした。
こ子供の頃から、苦労している父を見てきた妻は「絶対にサラリーマンと結婚する」そう、宣言していたそうです。
私にとってこの義父との出逢いは、妻と結婚して得た最大の出逢いでした。
義父と言うだけでなく、自営業者の先輩として、経営者の先輩として、そして男の生き方として、憧れの人でした。
中学卒業後、高校入学式にだけ出た後家族と何かあったらしく、そのまま夜汽車に乗って上京し、住み込みの職場を探し、必死に働いて、やがて社内で新しい企画を立ち上げ、成功させ、独立し、家庭を持ち、私と出逢いました。
話をしていても、何をしていても、賑やかで楽しい人でした。
平気で娘の飲み会に乱入して、みんなとワイワイやったり、くだらないイタズラしたり。
もちろん、妻の自慢のお父さんでした。
それは自然と私の自慢のお父さんとなりました。
ここ半年ほど、「何だか体が痛いんだ」そう話していて、年末にやっと病院へ検査に行き、そして判った病気。
そして、クリスマス前に突然自宅で倒れ、救急車で運ばれて、一ヶ月の入院。
日曜日に妻が見舞いに行き「ちょっと覚悟しておいた方が良いよ」そう義母に教えられ、2日後の夜中、携帯電話が鳴りました。
外は15年ぶりの雪が降り積もっている中、唯一スタッドレスをはいた軽トラックで伊勢原から横浜の病院に。
電話を受けてから、到着するまで2時間近く経っていて、「間に合わないかな…」そう覚悟していました。
それでも義父は待っていてくれました。
少し話しかけた後、私は妻と義母と義弟を残し、子供たちを学校に行かせるために自宅に戻りました。
「義父さん、子供たちが待ってるから、僕は家に戻りますね」
それが最後のお別れでした。最後の姿を僕が看取るのは義父に対して失礼だ、そんな気持ちもあり、退室したのです。決して格好つけているわけでなく、純粋にその時そう思えました。
何故かもう覚悟ができたので、退室するのに悩みもなく、逆に子供を母たちに任せてここに来た事を怒られそうな気がして。病室を出ると看護婦さんに止められ「もう、ここで帰ったら会えないかもしれませんよ」そう止められましたけど、笑って「覚悟できてますから」そう言えました。
病院を出て15分後義父は息を引き取りました。最後は眠るように逝ったそうです。
どうしても突然の事で現場の変更をお願いしましたが、一件だけは理解してもらえずこなしてから実家に向かいました。
そこには、傷一つ体に付けることなく逝った義父が眠っていました。
本当に寝ていているように。
最後の姿はお気に入りのスーツ姿。正直、格好良かった。
義父さん、僕は息子になれましたか?
妻は、あなたの娘は、私が大切にします。
ありがとうございました。
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コメント
お義父さまのご冥福をお祈り致します
まだ、若いのに・・67歳
私と同い年です
まだまだ・・やりたい事を残して・・無念ですね。
投稿: 大山街道 | 2012年1月29日 (日) 19時16分
すてきなお義父さんでしたね。
余りにも早い旅立ちに皆様悲しまれていることでしょう。
心よりお悔やみ申し上げます。
投稿: まま | 2012年1月29日 (日) 22時02分
心よりお悔やみ申し上げます。
私よりまだ1歳お若いのに・・・(合掌)
小生も娘の旦那氏から貴殿のように、思ってもらえれば
有り難いですが。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2012年1月30日 (月) 08時47分
一期一会。人生出会いと別れの繰り返し。一つ一つを誠実に、して行きたいものです。私は、義父と出合って38年。老いた義父母を大切にしたいと思う今日この頃です。
投稿: 海老名のアリ | 2012年1月30日 (月) 15時59分
皆様コメントありがとうございます。
親父さんも毎日写真が笑ってます。
投稿: a1you | 2012年2月 2日 (木) 22時35分