最近の子ども会は、子どもが少ない上に、子ども会そのものに入らない家庭が多く、
毎年夏に行われている「球技大会」もチームが組めない状態の地区が圧倒的で、
チームを組める地区も入学したての1年生まで入れてやっとの状態で、
そんな数チームで大会を行っています。
私が子どもの頃は子どもも沢山いたし、子ども会に入らないなんて家庭が「ゼロ」だったので、
球技大会は町一番のイベントと言えるくらいに賑わう大会でした。
子どもが多いために男子(ソフトボール)も女子(バレーボール)も参加できるのは4年生にならないとできませんでした。
4年生になって、初めてソフトボールの練習に参加して、初めて「野球」と言うものを知りました。
特にテレビのナイター中継は「巨人戦」しかやらないので、毎日のように観ていました。
初めて知ったジャイアンツは長嶋監督。
王選手が4番バッターで、柴田がいて高田がいて、土井がいて河埜がいて末次がいて。
代打に柳田、槌田、原田。
サードはジョンソン。
こいつが全く打てない
フライばっかり打ち上げて。
キャッチャーは吉田。
そして、ピッチャーは新浦に高橋一三に堀内。
堀内はすごいピッチャーだったらしいけど、この年の堀内はもう引退間近でヨレヨレでした。
200勝を達成するのに何試合負けたかってくらい。
初めて知ったジャイアンツは物凄い弱いチームでした。
その前を知らないので、ジャイアンツって弱いチームなんだと思っていました。
その秋、ジャイアンツの目の前で広島が優勝をしました。
友達の多くが赤い帽子をかぶる中、弱いチームを応援してジャイアンツファンになっていました。
あの時を越える「連敗」
首位は広島。
お金で他球団の4番バッターやエースを買ってくる球団が嫌で、
ジャイアンツファンはやめてしまいましたが、
何が起きているんでしょうね。
あの最下位の翌年、張本がやってきました。
高橋一三と交換で加藤初がやってきてノーヒットノーランを記録しました。
いきなり強いチームになってしまいました。
何がこれから起きるんでしょうかね